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一輪の薔薇

薔薇3本 フィクション

小さい頃の学校の登下校なんかには、道端には草花を見つける事ができた。そこからのイメージで「薔薇」まで辿り着く事は容易だ。そういう過去があるからいつまでも花を連想してしまっているせいか、外を歩けば「花なんてないな」って思ってしまう。まるで、コンクリートの社会が悪いかのような言い草。ここで、昔は良かったなんて、いつまでも過去に思いふけっている自分と、社会や誰かを、悪者呼ばわりしたい気持ちは保留して、こんなにも変わった世の中で、私の時代の「花」のポジションが、今の世の中では何に値するのか探してみたい。今に生きる人たちへ送るのは、それが最高の花束になるからだ。

「薔薇の花束を贈りたい。」と、一番に私が思うのは、思春期に見聞きした事で、連想しやすい、最高のラブロマンスなのであろう。『ベルサイユのばら』『ば~らがさいた~♪』とか『情熱の真っ赤な薔薇♪』などなど、そう思わざるを得ない当時の出来事はたくさんあった。妙な言い回しになってしまったが、何せ頭を悩ませる。

今も昔も、何かを見ること聞くことにより感性を深める傾向にあると、想定するのは容易だ。ユーチューブなんていうのが、流行っている事にも事象される。「スマホが最高の暇潰し」に、なっている事にも注目だ。善良であるという快楽に浸らずに、公平に進めていこうと思うと、今のヒット曲や、流行している映像を追いかける事になる。そこで思い立つと、インターネットというメディアに足を踏み入れる事になるが、各自でカテゴライズされた世界を作り上げて四苦八苦している。小学校の「かけっこ」での1位を、世界のトップ争いのように夢を見ていたのと同じで、オリンピックの1位とは程遠い小単位である事が視野に入っていない様が、何とも痛々しく、見るに堪えかねない。

極小単位な世界観が無数に出来上がり、それがSNSに代表される個人による自由発信を加味すると、想像するだけでとんでもない数になるであろう。面白いのが、そんな世界が出来上がっているのに、まだ社会的な構造が構築されていない事だ。今日では代議制であったり、各自が持ちうる意志ですら小単位グループの会議によって選抜されていく中で、インターネットでは無造作に、掃き溜めのような所に、ゴミにまみれて捨ててあるのと同じ感覚に陥ってしまう。既にゴミ箱の中で焼却炉行きが決定している中でのドングリの背比べと、言いたい所だが、それにより家族を養う者がいる以上は、立派な仕事と言わざるをえない所である。また、ここで誤解しないで欲しいのが、「家族を養う者」というのは、「自分本位ではない、他の誰かの情緒などを取り入れ考慮されている」とする小単位の選抜の事。あくまでも、独りよがりのゲームのように扱うのには、恐ろしく反対する。少し、しょうもない言葉のレトリックが過ぎるので、この辺で。

論点がずれた的を得ていない纏まりのない文章となった事をお詫び致します。

おまけ

よく見る画面で素敵なものは「Google」の文字。いつもwebページのトップ画面として使わせて頂いております。検索エンジンって、なんと素敵な響きなのでしょうか。何でも出てくる宝箱のようですね。文字のデザインも変わるので、いつも新鮮で飽きさせないです。まさに、ジュエリーグーグル。なんと素敵な事でしょう。検索ワードには、いつも「楽して稼げる仕事」「給料アップの小手先の技術」「希少性のある高待遇」「売れる商品」「とにかく安い」「高くても良質」などなど、金に関わる事ばかりを打ち込んでいる私がいる。その行きつく先は大体こうなんです。「無料」もしくは「フリー」「誰も~」みたいな。とことん、暑苦しい、むさ苦しい、厚かましい、もさもさで、むわむわする、ちっともかわいくないオッサンの禿げづらみたいなのが、ゲロ袋さげて歩いてるのは、逆立ちしてみても、腐った牛乳の臭いがします。

とにかく、「花」なんてよく目を凝らして見れば綺麗だった的な存在なので、スマホの中によく目を凝らせば綺麗な存在を見つければ、それが「花束候補」かな。マインドされていた「ばら」の替わりは「バナー広告」とかじゃないですか?
ちょっと3次元の話を2次元でしようとしていたかのように無理がありました。
花は植物だから~、何物にも替えがたい~、とか思うでしょ?
今時、花だったらバーチャルでいいです。って言われちゃうよ。花のかぐわしさの替わりに、金の臭いがプンプンだ。それだけは間違いない。

素敵なあなたにバナー広告の花束を。

なんだかワクワクするね!

一輪のバナー
可憐なる人。それを見る方も、思わず可憐な振る舞いをする。
数量的に希少な存在を比喩しつつも、トゲがある事の直喩。

赤オレンジ帯

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