昭和に漂う時代遅れの利用。


リサイクルは心理適に奥深くまで根付かされている。活用や有用、エコであることや、参考となる資料までに根本にリサイクルの概念はあるだろう。その心理を上手く使っているのがレトロだと思う。新品や新製品のはずなのに、どこか懐かしく、古いデザインが採用されていて「無い資源の中で工夫して作られた」とか、「あるものを最大限に生かして」などの精神部分を読み解けば、リサイクルの要素が見えてきて「大自然に優しい」となるのは明白だ。少しユーモアを加えて、エコに力を入れたければ「時代遅れ」を探そうなんて。そんな言葉遊びをして、無邪気にもお出掛けの準備。今の気持ちをそのままにして置きたい、そんな気分だ。

美術館に出かける事を考えた。

枝道を探さず、余計な事を思わず、すぐにでも何かを見つけたい。色々な参考物件を広げずとも並べずとも、すでに展示してある。「見るものを選ぶ」それが最小単位なんだと身体は知っているのかもしれない。

絵画カエル

趣味とするには遠い存在。


はっきりと突き付けられた「学歴」を感じている。美術の学校にでも行っていないと、同じステージに上がって話す事はできないだろうし、何なのかを理解する事も、知的好奇心を楽しむ事もできないのだろう。油彩画と水彩画の違いも分からないと言っていい。ただ、「良いものしかみない」という気持ちを、頑なに持って出かけたい。

おしゃれを、しない訳にはいかない。


紳士白黒

どれだけのバカでも分かるんだ、これぐらいは。有名な画家の先生の作品を見に行く訳だ。失礼のないように、肩を並べる訳だから何十億円の一枚の絵と。

スーツを取り出した。ネクタイはだけは閉めていたい。流行りのクールビズや、カジュアルとは全然違う話だ。ドレスの女性にも、必ずお化粧直しのバッグを持たせるべきだと考える。


パトロールをしてしまう性癖。

やむを得ない事だが、他の人がどんな服装で来ているかの確認は、無意識的に行われる。それを決して怠る事がないのが、人間の性だ。もはや失礼のないようにしているかのチェックが、あからさまに始まっていたとしても、不思議はない。肝心の絵画には目もくれない状態になっているが、それでいいのだ。思わず言いそうになったが、私は美術に何の興味もございませんので。

今日の目的といたしましては、おしゃれをして外出をする事。絵画と溶け込むほどのセンシティブな姿の発表会だったようだ。

普段は着る事ができないような洋服でも、美術館なら相応しく着る事ができる。何を言われても恥じる事がない、美術館に行くのだから。眠っているおしゃれ着のパートナーが、モネやゴッホ、ピカソやルノアールだとすると、ご不満ですかな?

緑車ミニ

展示品が自分に合うかどうか。


面白おかしく人生を楽しむのは、良い事だと思う。

どんなに価値があっても、相手は絵や物でしかない。人間様ではないのだから、相手の立場とか相手が受ける印象などを忘れて、自分を中心にして考え始めるのもいい。例えば、展示品が自分に合うかどうか。言葉遊びのようだけど、心持ちが全然違うような気がしてならない。

「見入るように見ること」それが、この上ない絵画への称賛である。

そんな時に見つけてしまうんだ。くたびれた服装をしている人を。溶け込むようでもなく、心持ち良くしているようでもない人。

花かご

面白い事なんて何もない。


何か笑う要素も見つかりはしない。美術品なんて知らない人にとっては、つまらない物でしかない訳だから。もちろんそれも心得ているから、失礼のないような服装をしている。

何かを探すように美術品を見ている人がいて、テクニカルな事でしょうからと突き放しにかかるが、何かが違うのを体は感じるんだと思う。しばらく目が離せなかったのが、その証拠。

その絵に太古のロマンを見るような。

残された状況を知り、周囲の状況が想い返されて、今この絵に膨大な月日が掛かっている事を、知ったかのような雰囲気がある。

手元にある簡易的な色では済まされなかったであろう彩色も、なぜそこまでにこだわったのか?と想えば、自ずと当時の時代を歩いているような感覚。

今、確かに違う感性を用いながらここにいて、その絵を見つめ直すと、また違った表情に見え始める。タイムトラベルしてきたお土産は、その人だけに絶世の絵画を映し出していることでしょう。

砂時計と薔薇

自分が知っている色々な所で見聞きした多くの状況と展開を使って、たぐいまれないドラマを感じる。そういう美術鑑賞だったら素敵な時間を過ごせそうです。

普段からの習慣が、いざという時のアイテムに。
上も下もなく時間だけがそこにあるって、どんな時間?

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